ゆるぐた記録日記

読んだ本、思った事、取り留めもなく書き綴るつもり。

腎臓病を患う話②

 

急性腎盂腎炎と診断されて1週間弱の入院を経てから、A病院にお世話になる生活が始まる。

 

入院の時にも少しH先生と話したが、急性腎盂腎炎の原因は明確には分からなかった。

尿路感染で細菌が腎臓に飛んだのだろうとは言われたけど、膀胱炎ではなかったし、先生的には

「ストレスか、冬だから冷えかな。あと水分を取るのも大事だから」

と言われたけど、私は結構何か飲んでるのが好きなので、水にしろお茶にしろコーヒーにろ頻繁に何か飲むので、これ以上飲むの?という感じだった。

あとはストレスも会社辞めたばかりなのになぁとは思っていたけど、ストレスと言われると他に言い返すこともなくなるので、そうですか…気をつけます…(何をだ?)みたいな感じだった。

 

「慢性化すると大変だから、再発しないようにね。」

そう言われてから、たしかすぐ、再発した気がする。

した気がする、というのは、実はその時を境に私は冬に2〜3回ずつ急性腎盂腎炎による短期入院を繰り返す。月1ペースぐらいで。

なので、入院の領収書をカウントすれば正しい入院ペースとか回数とか分かるのだけど、またかよ…と思うぐらいには頻繁に入院してたので数えてません。ごめんなさい。

体調が悪くなる(微熱など)、あっこれダメなやつや!と思う頃には血尿が出て、あれよあれよと言う間に高熱が出て病院に駆け込み入院になる。

それでも確かな原因が分からないから予防しようがなかった。

ストレスと言われても、その頃はあまり長い定職につけずにいたので(精神的に参っていたので)、これがストレス!と言い切れるものがなく、水分は意識してとっていたし、体調が悪くなるのは急激にだったので、どうしたら良いか分からなかった。

 

それでも繰り返す急性腎盂腎炎に、さすがにこのまま毎年冬に何度も入院するのは困る…とセカンドオピニオンを始める。

S病院の〇〇先生が良いらしいと聞くと、わざわざその病院まで行ったりもした。

ここは田舎の悪いところだと思うんだけれど、世間がとても狭いのだ。

結局その良いと噂の先生に相談しても、

「え?A病院のH先生なら大学の先輩だよ!ちゃんとした先生だから、テキトーな診断する先生じゃないよ。そのままかかってた方がいいよ」

と、まともに診断もしてくれない。わざわざ採血や検尿したのに。

 

そんな感じでセカンドオピニオンにならないセカンドオピニオンをしつつ、急性腎盂腎炎になるとA病院に駆け込んだ。

 

この流れが変わるのが、2015年11月での入院。

いつものように(っていうと変だけど)、急性腎盂腎炎の症状が出てきて、高熱の中A病院に行くと、運ばれた病棟がいつもと違った。

A病院は大きな病院で、各入院フロアが二分されていて、東は〇〇科、西は△△科という分け方をされてるんだけど、ベットが用意されたのは泌尿科の階ですらなかった。

 

(患者が多くてベッドが足りないのかな?)

とか思いながら、なぜかベッドの名札の表記も今回は「腎臓内科」になっている。

首を傾げていると、翌日ベッドに腎臓内科のI先生が来た。

先に言ってしまうと、このI先生が私が患っているのはある腎臓病と特定して、治療を始めてくれた今の主治医です。

 

この時の入院の記憶って、

え?なんでいきなりなんの説明もなく主治医が変わるの?H先生は?

って疑問が大きく、何の話をしたかぶっちゃけ覚えていません。

 

ですがその主治医が変わった途端、I先生から腎臓病の疑いがあると告げられる。

詳しいことは検査をしないと断定できないけど、早くその検査をした方がいい。

とりあえず年明けまでは通院で尿検査、血液検査の値を見るけど、親御さんにも相談しておいて。

的な事を言われた、(はず)。

 

本当にここら辺の記憶は曖昧です。

それはここから始まる検査と治療がしんどかったのと、これ以前にH先生と行なっていた事言えば、

・月一の通院で、検査結果を見て特に問題ないねと言われる事

・冬になると月1で急性腎盂腎炎にかかったこと

ぐらいしかないので、特にこれすごく大変だった!みたいな事がなかったからかも。

 

そこから経過を見ていましたが、2016年2月。

やはり尿検査・血液検査結果が良くないと判断され、腎生検をすることに。

 

腎生検とは、背中側から鉛筆の芯ほどの針を刺し、腎臓の細胞を採取して腎臓病を特定したら腎臓の状態を調べる検査。

聞くからに痛そう。

 

A病院には腎生検を担当する医師が居なかったので、他の病院への検査入院になりました。

そこで提案されたのが3つ。

・I先生の知人が担当するT病院

・県立病院

医大

下2つは、今までの検査結果が使えない(A病院から提出しても決まり?としてそれぞれの病院の医師が検査し直して、腎生検が必要か再判断する)らしく、何だれめんどくさーーーー?!と思いながら、嫌なことは早く済まそう精神と、また数ヶ月かけて同じ検査繰り返すのか…という億劫さから、T病院での腎生検が決まります。

 

検査が決まった翌々週ぐらいに、I先生からの紹介状携えてさらに車で走った所にあるT病院へ。

検査入院のための検査(ややこしい)をして、担当してくれる先生から説明を受けた。

検査は血液検査が6本ぐらい、あとは心電図とか、尿検査とか、それこそ健康診断のようにいろんな場所を回りました。

珍しかったのは、耳に小さな針で傷を作って、何分で血が止まるか測る検査。静かな部屋で、ストップウォッチ持って耳観察されるのがすごくシュールだった。

止血剤の兼ね合いとかの検査だったかな。

 

担当してくれる先生は感じの良いハキハキした方で安心する。

今日の検査で腎生検を行なっても問題ない事、当日の手順や注意、その後の注意、また合併症の危険を聞かされ承諾書にサイン。

その時、説明として(少しだけど)可能性がある合併症についていろいろ聞かされ、ナーバスになったけど、この検査をしないと何も分からないので考えても無駄なことは考えず、5日後に検査することに。

 

 

長くなってきたので、次は腎生検から。

 

 

 

腎臓病を患う話①

昼間の日差しが随分と暖かくなってきて、春が近づいてきているのが肌に感じて分かるようになってきて嬉しい。

この時期に思い出す行事(というのか?)の一つに、健康診断があります。

社会人の方は会社に決められた検診センターとかに行くのではないかな?はたまたもう結果をもらってる人も居そう。

 

今日書きまとめたいのは、私の持病の話です。

ちょっとグロいかなぁ…?って場所もあるかもなので、苦手な方は読み飛ばしてください。

 

 

私が初めて会社勤めをした時、三月に会社から指定された地域成人病健康センターで健康診断を受けました。

(2014年3月)

健康診断を最後に受けたのは高校の時の学校で行われたものでしたが、そこから特に病院にもお世話になってなかったので、別に何もないだろうとは思いつつ義務感と午前中電話対応しなくてラッキーぐらいに思ってました。

なのでその健康診断の結果を、総務の課長から心配そうに見せられた時はすごくビックリしました。

 

引っかかっていたのは腎機能の欄。

1〜5段階の4(精密検査を受けてください)でした。

(※6表記は治療の継続)

詳しく見ると、尿蛋白が2+で、赤血球の数も範囲を超えていた。

 

沈黙の臓器と聞くと肝臓を思い浮かべる人が多いと思うけど、腎臓も不調に気付きにくい臓器で、私も体感的に痛いとか感じることは全然ありませんでした。

なので首を傾げながら、とりあえず近くの腎臓内科がある病院に健康診断結果を持ち込みました。

自分自身に自覚症状があるわけじゃないので、その時の先生との問診も釈然としないまま、とりあえず一通り検査し直して、って感じだった。

結局その病院でなにか病名がついたわけではなく、様子見になったのだけど(医師の反応も深刻そうではなかったので安心もあって)、すぐに治療が始まったりはしませんでした。

 

その後、その会社は健康診断から半年後ぐらいにストレスで退社したのだけど、腎臓の様子がおかしくなったのがその一ヶ月後ぐらい。

(2014年11月くらい)

外出先で具合が悪くなり、夕方には歩いていると吐き気プラス悪寒がして予定を切り上げて家に直帰。

そこから夜にかけて熱が上がってきたけど、風邪かなにかかな?と思っていたのと、病院は明日でいいかと考えたので風邪薬を服薬して寝ていました。

しかし夜中(記憶ではたしか3時過ぎぐらい)、もう寝ていられないぐらい苦しい。

高熱で頭は痛いし、体はだるいし、苦しくて目は覚めるしで、早く朝になってくれ!!そして病院よ開いてくれ!!!と呻きながら、ふらふらとトイレ。

便座から立ち上がって驚く。

便器の中が真っ赤。

あれ?なんか尿に血が混ざってる?なんか赤いな〜?

とか言えるレベルじゃない。

もう尿というよりこれ血がそのまま出てるんじゃね?え?生理きた?いやそんなことない。血尿ってこんなヤバい色になるの?え?死ぬ?

って感じにプチパニックになるぐらい真っ赤でした、トイレが。

 

ふらふらしながら寝室に戻り、同棲してた彼にトイレでの趣旨を伝えると、血尿のことと高熱のこと(この時点で40度超え)まだ病院が開く時間ではないことを考え、人生初救急車。

すぐ来てくれた救急車に、ふらふらしながら自力で乗り込み(意識あったし自分で歩けたから)、どこの病院に行こうかと何か電話してる救急者の人。

家から徒歩5分ぐらい隣に、大きな県立病院があるのだけど、

「県病は今呼吸停止してる急患が居るらしいんだけどどうする?」

…いやいや、呼吸停まってる一大事の人に比べたらこっちまだ意識あるしそんな空気読めんことできないだろ!!!!

ってことで少し離れた(車で10分かからないぐらい)救急病院へ。

 (仮にこれからお世話になる病院をA病院とします)

 

初めて係る病院の救急治療室みたいなとこに運び込まれる。

時期もと高熱のこともあって、インフルエンザの検査もするも陰性。

血尿の症状を伝えると尿道から管通されて採尿されて痛かったけどもうキツイし朦朧としてるのでどうにでもして感。

とりあえず点滴をしてもらい、検査結果が出るまで待機。

その時診てくれたのが泌尿器科のH先生。

診断名は「急性腎盂腎炎」でした。

 

「帰っても良いけど、悪化してまた病院に駆け込む事になるよ」

と言われ、それの何が帰って良いんだ…?と思いながら、渋々緊急入院。

 

子供の頃は小児肺炎で風邪をこじらせてちょくちょく入院してたのもあり、久しぶりだけど入院自体に不安はなかったので荷物を彼に頼み病室へ。

たしか解熱剤は投与されてたと思うけど、まだ40度を超えてたので、そもそも帰れなかったと思う。

 

その後、薬のおかげで2〜3日で熱は引き、血尿も収まって5〜6日後には退院になる。

(緊急病院なので結構病室の入れ替わりが激しい)

 

ここから先、腎臓病の治療が始まるのは2016年で1年以上開くんだけど、長くなって来たので分割しようかな。

 

 

一月のメモ

 

本当は本を一冊読むごとに、映画を一つ観るごとに、新しいCDを一枚聴くごとに、感想書けたら良いんだけど、なかなかそうもいかず。

それは、ゆっくり感想を綴る時間がないとか、感想自体がまだあやふやで言語化できないとか、または感想を書きたくない(書けない)とか、いろいろなんだけど。

 

でもとりあえず、観たもの聞いたもの読んだもの、とかを、走り書きしとこうかなという感じ。

忘れてる分あるかと思うから、思い出し次第追記予定。

 

 

以下、一月中のメモ。

 

[映画]

君の名は。(2回目)

この世界の片隅に

 

[展示]

◯オランダのモダン・デザイン

リートフェリト/ブルーナ/ADO  (OPAM)

 

[CD]

◯朝へ For morning (utaco)

◯OLIVE (SKY-HI)

 

[本]

手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)  (穂村弘)

 

[その他]

哲学カフェ第31回参加

(テーマ、自分らしさって何だろう。)

 

 

以下、貼れるもののリンク。

気になる方は是非に〜。

 

 

朝へ For morning

 

 

OLIVE(CD Only盤)

 

 

手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ) (小学館文庫)

 

 

 

(あれー、本もう少し読まなかったけ?感があるから、何か抜けてるかも。)

 

 

 

(感想) 朝へ For morning

 

彼女の歌を初めて聞いたのは、成人してたかな?してないかな?ぐらいの頃かな。
手元に届いたCDから聴こえた音楽の重さに、ズシンと来たのは今でも覚えてる。
その頃の私には音楽は、なんというか現実味の無い表現という感覚が強かった。(音楽表現者じゃないやつが何を言うって感じだけど!)
娯楽というか、楽しい音だった。
でも彼女の音楽は、音というより声だった。
それぐらい生々しくて、惹きつけられるパワーがあった。
彼女、utacoちゃんのイメージは不思議なパワーを孕む歌を唄う人になって、それは今も変わらないです。

 

去年の11月にutacoちゃん主催のイベントが東京でありました。

3回目だったutacoちゃんのバースディイベント、私は現地には行けませんでしたが、lamppnytとして少しイベントに参加させてもらいました。

(ここで様子が見れます。素敵なので是非!)

うたのこどもが生まれた日vol3

 

このイベントでutacoちゃんの新しいCD「朝へ For morning」が販売されたので、1ファンとしては買わずにはいられず!

早く聴きたかったんだけど、ちょうどイベント後から年明けまでなんやかんやあって、やっと最近ゆっくり聴けたので感想でも、と久しぶりにブログの更新。
(長すぎる前置き)

 

上記に書いた通り、私のイメージはめちゃくちゃパワーのある歌なので、1度目はちゃんと落ち着けるとこで聴きたい!と思ってなかなか再生できなかったCD。
でも再生して1番驚いたのは、すごく印象が変わってたこと!
これは前のCD「10Hz」との比較なので、ピンとくるかは人それぞれだろうけど、「朝へ」の伸びやかさにとても驚いた。
パワーが無くなったわけではなく、昇華したイメージ。
持て余してた強すぎる感情やら生命力とかの使い方、持って行き場所が分かったから、もう大丈夫。そんなイメージ。


「10Hz」は原色だった。激しく動く感情も、静かで丸まってる感情も、痛いけど愛しい。
「朝へ」は原色に比べて、随分淡くなったと思う。霞みがかった色。それでいて新鮮で透明感の高い。確かに痛くて辛かったけど、それは悪いことじゃなかった。
水を加える前のどっしりとした発色の絵の具の色と、水を加えて色を作って白い紙にすうっとひいた色、そんな違い。


このCDを聴いた時、彼女はこの数年間でいろんなことを経て、そして乗り越えてたんだなと感じた。
そして彼女は今幸せなんだな、とも感じた。
(物理的な距離もあるし何が起こったのか全ては知り得ないので、全然予想なのだけど)
彼女の友人として、彼女の歌が幸せそうな事がとても嬉しかったです。
他人の不幸が売り物になってしまう時代で、幸せになると魅力がなくなったなんて言われてしまったりもするけれど、私は決してそうではないと思います。
「10Hz」には「10Hz」の良さがあって、「朝へ」には「朝へ」の良さがはっきりあって。
受け取る人に響く、響かないはもちろんあるけれど、でも確実に魅力は増したと感じました。


このCDの、どこまでも行けるような伸びやかさが好き。風に舞って優雅に表情を変える絹のような曲。
夜を越えて朝に向かうための曲。タイトルの「朝へ For morning」はぴったりだなと思いました。

 

4曲収録で、どれも個人的には甲乙つけがたく大好き。

 

CDタイトルと同じ「朝へ For morning」は、本当にタイトルを表すようなメロディーと歌詞で。
言葉の1つ1つに惚れ惚れしちゃうほど、綺麗な、でも儚さだけじゃない曲です。

 

「さ・よ・な・ら の ワルツ God is laughing」は、強いて、本当にどうしても1番を決めるなら、この曲が1番好き。
こんな歌い方も出来る人だったの、と思ったけれど、世界観はやっぱり彼女の世界で。
スカートをなびかせながら、時にはそのスカートを拳でぎゅっと握りながら、それでもその子の目にはいつだって愛がある、そんなイメージが浮かぶ曲。
utacoちゃんの話をしたいので、別の人の名前は出さないけれど、最近「別れを愛すること」について聞く事があって。ちょうど自分自身そんな事について考えてたので、時期も合ったのかも。

 

「アンタレス Cor-scorpii」この曲は、CDの中で1番utacoちゃんらしいって勝手に思ったり。
utacoちゃんのことを思う時、私はよく星を思い浮かべます。
小さいけれどとても明るく、自身で光を放ち続けて。生と死が少し痛いぐらい一緒にあって、太陽や月ほど強くはないけど、見つけるとほっとする、繋いでいくつもの星座の物語が広がる、あまり天体に詳しいわけではないけど、そんなイメージはどこか彼女に重なります。

 

最後に収録されている「舟 a boat」、この曲は実はこのCDを聴く前から知っていました。確かツイキャスとかで聴いた気が。
この曲もすごく惹きつけてくれる曲で。また、流れの最後だからすごく魅力が発揮されてて。
この曲を聴くと、早朝、まだ朝霧が立ち込める中、ゆっくり乗り込んだ舟を、そっと岸から押し出してもらえてるようなイメージが湧きます。
自分の夜明けに向かうために、舟を漕ぐ、その最初の初動の力を分けてもらえるような気になります。

 

また前のCDよりもクオリティもすごく上がっていて、それはutacoちゃん自身の成長ももちろんあるのだけど、「朝へ」を作っている全ての人のおかげでもあるんだろうなって思って。
CDジャケット、歌詞カードのデザインも歌の魅力を増幅させてるし、ピアノの音が入っているのも素敵で、音もすごく澄んでいて。そんなCDに関わっている人達の愛も、このCDができるまでにutacoちゃん自身に関わっていた人達のutacoちゃんに対する愛も、utacoちゃん自身の愛も、全部で出来た素敵なCD。

 

utacoちゃんのライブに、生歌を聴きに行きたくなるCDです。
(ファンとか言っときながら、実は距離的な問題で彼女のライブに行く夢はまだ叶ってないので、本当に機会を作らねば!)


amazonでお取り扱いを始めたみたいなので、是非聴いてみてほしい1枚です。

 

朝へ For morning

朝へ For morning

 

 

なんだかとてつもなく長く書いてしまった気がするけど笑、それぐらい好みの1枚でした。

 

何度越えても夜みたいな真っ暗な不安の中にいるときは、もう朝なんて来ない気がする。
時には朝が来る事が絶望だと感じる夜がある。
だけど、どんなに暗い夜が来ても朝が来るから私は大丈夫。

 

私が感想を書きながら、1番残ったイメージはこれでした。
気になった方は是非。

 

 

twitterで出会ってからもう5年近く経とうとしてる友人ですが、愛が深くて可愛らしい人。

最初のCDからの変化に驚かされたけど、彼女はこれからももっと変わっていくんだと思います。

自分に対しても他人に対しても、変化に対応するのがあまり得意ではないですが、変わることは悪いことではない、流れ続けたいと思い始めたのはごく最近です。

彼女がこれからどこに向かって、どんな表現を見せてくれるのか、友人としてファンとして、とても楽しみです。

 

 


((( 感想とは関係なさげなひとりごと )))

 

 

 

どうすれば自分の言葉を濾過できるんだろうと思う事がよくあります。
感想を書く時によく思う事、確かにその作品から何か受け取った感覚はあるのに、上手く言葉にできない。表現が稚拙で、語彙力が足りないと思う。その前に、感じた何かを自分で再認識して言葉に起こすこと、それが難しかったりする。誰かの言葉ではなく自分の声で。
読書感想文の書き方がわからず作中から引用しまくってた夏休みが思い出されます(うぅっ、、、)

楽曲でも本でも、新しいものを開こうとすると、私自身にすごくパワーがいります。身構えてしまうのかも。
でもだからこそ、受け取る準備ができた状態で作品を開くので、受け取ったものは少しでも消えないうちに残したいと思います。
今年もいくつ感想が書けるか分からないけど、できる限り書きたい。

苦手を少し克服した小言

 

美術館が、実は前は少し苦手だった。

 

今日、妹の課題の付き添いで近所の小さい美術館に行った。

初めて行く美術館で、こじんまりとしていて、展示スペースもあまり広くない二部屋しかなくて、来館者も少なくて、外観は素敵なのに、ひっそりとゆったりとした美術館だった。

妹の課題と言っても、妹は私よりも随分美術館に縁遠い子だと思う。

楽そうなので取った授業で、美術館についてあれこれ書いて提出しなきゃいけないというから、付き添ってその日やっていた美人画展を見た。

めんどくさいやら、よく分かんないやらいう妹の横で、解説を斜め読みして、さらにそれを噛み砕いてこんなことを表現した絵なのだと説明しながら周った。人がほぼ居なかったから、小声でしゃべっていたけど咎める人は居なかった。

 

私が美術館が苦手な理由が、よく分からないと言えないからだ。

同じ理由で、子供の頃の夏休みの定番、読書感想文も苦手だった。本はその頃からたくさん読んでたのに。

美術館やら、授業としての読書やら、そういう何かを感じとらねばならない、というものに弱い。何かを感じ取って、感想を述べなければならない。そこで、よく分かりませんでしたとは言いづらい。言えない。

 

知らないものを見るのは好き。知らない土地に行くのも、普段知り得ないものが知れるからいろんな土地に行きたい。読んだことないジャンルの本を、図書館でふらっと手に取るのもワクワクする。

だけど、それについての感想を求められた途端、息苦しくなる。

もちろん、何も感じてないわけじゃない。見て思ったこと、読んで感じたこと、聴いて浮かんだこと、いろいろある。あるはずなのに、口が、頭が重くなる。

そういうのも、人の求める応えを探す癖があるからだろう。長女気質なんだろうか、子供の頃から、親が先生が何を考えて何を求めてきているのか、どう答えれば満足されるのか、考えてた気がする。

だから、社会科見学で美術館に行っても、読書感想文で課題図書を読んでも、まずは、これを見て読んでどう感じて欲しいんだろう、となる。私が書いていて、私の感想ではないようなものが出来上がる。そしてそれが合ってるか分からないから、そもそも感想なんて言いたくなくなる。感想に正解なんてないんだけど。

それに、薄っぺらい感想しか出てこないと、まるで自分が薄っぺらい人間な気がしてくる。こんなに素晴らしい(であろう)作品を見てるのに、何も感じないなんて、感性が乏しいじゃない?みたいな。

そんなことはないと冷静には思う。

作品にも作者にも、相性はあるだろうし、誰かにとっての最高傑作が誰かにとっての落書きにしかならないこともある。要は価値観とどれだけ相性が良いかなんじゃないかと思う。

だけど、感想を言わなきゃいけないとなると、価値観が合わなくて、私には良さが分かりませんでした、では丸はもらえない。

でもよく分からないものに対して、言えることなんて薄っぺらい言葉だから、肩身が狭くなる。

 

美術館に対して、その苦手意識が無くなったのは割と最近な気がする。

長々と感想が書けるのが一番良い、わけでは無いと体感して、許せたからじゃないかな。

言葉に出来なくても、感じたものはきっと私の中にあるし、それは日々のいろいろで忘れちゃったりもするかもしれないけど、でも残り続けてどこかで私を形作る感性になると思えたから。

言葉にできるなら、それはそれで記録として残しやすいけれど、だからと言って言葉に出来ないから何も受け取れてない、感じられてないわけではない。

 

11月には友人に誘われて、市立美術館にミュシャ展を見に行った。その時は、一つ一つじっと近くで見て、ほぅっと息をついて、三歩下がって全体を見て、また近づいて、すごく魅せられた。展示数が多くて、最後は受け取りすぎて頭と心が飽和気味だった。

その時は、やっぱり言葉にはうまく出来なかったけど、すごくドキドキした。

そして早く帰って、何か作りたいと思った。

 

その感覚って大事だと思う。

なにも感想なんて、感想文だけじゃない。

受け取ったものを、言葉で綴る人でも、それは感想文だったり日記のようだったり、インスピレーションを受けて散文や詩、短歌なんて書いたりもするだろうし、音楽に長けた人なら音を作るのかもしれないし、私は刺繍をしたり、その為にラフとして絵を描いたりするから、とにかく手を動かしたかった。

 

美人画を見ながら、よく分からんと言いつつ中には「あっ、でもこれかわいい」なんて万能な言葉1つでサラサラと作品を通り過ぎてく妹を見て、別にそれだって良いんだと思った。

好きに楽しめればそれが一番。

 

美術館って結構企画展示の情報が入って来づらかったりするけど、興味をそそられるものは積極的に見に行きたい。

好きなもの作れるように、心を揺するものに触れることはとても大切。

インプットがないとアウトプットの質が下がるだろうし。

いろんなものに触れて、感想があるものはしっかりと感想を残したい。

 

何でもないように綴ること

 

なにを思ったか、唐突にブログを始めてみたり。

 

ブログなんて高校の頃以来。

あの頃は、何をそんなに書くことがあるんだと言いたくなるぐらい、長文のブログをほぼ毎日のように学校から帰る電車の中で書いてた気がする。

ブログを更新しなくなったのは、ツイッターを始めた頃かな?

個人HPからpixivに、ブログからツイッターに、いつの間にか周りも自分も移行してた気がする。

 

文字を綴るのは、別にツイッターで好き勝手呟いていれば良いのだけど、なんというか、質が違う気がする。

使い方の問題だろうけど、ツイッターに呟く言葉は、煮詰めてない。

別に時間をかけてブログを書いていたわけではないけど、けれど、これを書こう!と文を書き始めることは、ツイッターではない。

その時思ったことを、溜め息のように吐き出すにはツイッターが便利だけど、そればっかりを続けていると、少し考えながら書いてみたくなる。

ちょっと長い文を。

 

私の場合、今までは溜め息はツイッター、ちょっとした日記のような独り言はInstagramにあらわれてたけど、Instagramをほぼやめてしまったので、思い出したかのようにブログが書きたくなったってだけだろうけど。

 

別に大した事を書く予定でもなく、日記のように身の回りのこと、読んだ本、観た映画、行った場所、書きたい事を書きたい時に、ゆるぐだと続けていけたら良いな、と。