ゆるぐた記録日記

読んだ本、思った事、取り留めもなく書き綴るつもり。

腎臓病を患う話④

 

IgA腎症の治療として、説明されたのはまず扁桃腺の摘出、その後にステロイドパルス療法でした。

 

え?なんで扁桃腺取るの?

 

私はあまり扁桃腺が腫れる体質ではなかったので、扁桃腺のイメージは風邪ひいて病院行った時に、あーーーって見せて

「あー、ちょっと赤くなってますね〜」

って言われるとこ、ぐらいのイメージしかなかった。

それを取る?腎臓のために?ん?

 

実はIgAを作れ!という伝達を出すのは扁桃腺らしい。

空気中の雑菌がくっついた扁桃腺が炎症を起こすと、それに対して体が抗体を作る。この抗体がIgA。

だけど、扁桃腺がIgAを作れという伝達を出し続けると、腎臓にはくっつきやすい異常なIgAが作られて、それがメサンギウムにくっつくとIgA腎症になる。

 

だから大元の扁桃腺をとってしまおう!という治療方針らしい。

 

あ、だから口呼吸の人は、そうでない人と比べてIgA腎症になるリスクが高くなるんだとか。

それでなくても口呼吸の人は鼻呼吸の人よりも寿命が短かったりするんだと。

扁桃腺をとってから免疫が下がるので、口呼吸を治そうと今年からあいうべ体操を始めたので、口呼吸気になってる方は是非あいうべ体操で検索!

(なんの回し者でもないよ)

 

 

余談でした。

 

なのでまずは扁桃腺の摘出から。

全身麻酔の手術だとI先生に説明されながら、

「でも大丈夫だよー、扁桃腺取るのなんて、玉ねぎの皮むくようなもんだから。しかもうちは全身麻酔で麻酔でやるから起きたら終わってるよー。自分も昔取ったけど、自分の時は局部麻酔だったから自分で口開けとかなきゃいけなくて大変だったよー笑」

とか先生笑ってたけど、なんだそれ地獄かよ、全身麻酔でよかった!!!

 

でもまたもやA病院には耳鼻咽喉科がなく、手術するためには他の病院の先生にかからねばならず。

そこでI先生と一緒に同じ手術、治療をしてきたF病院の先生が、奇遇にも高校の時ストレス性の難聴にかかった時にお世話になった先生だったので、すんなりと執刀医も決まり、紹介状を持ってF病院に手術前の検査と説明を聞きに。

F病院は入院設備があるような大きな病院ではないので、A病院に入院し、F病院の先生が手術しに来てくれるという形に。

 

I先生とは、「F病院の先生の都合もあるけど、多分5月とかかなぁ」とか話してたのに、GWはさむと先生6月末ぐらいまで予定が開かないらしく、急遽今月しよう!となり、心の準備ができなくて白目をむく。

 

まぁでも嫌なことは早く済んだ方が気が楽…、だし、これもきっと何かの思し召しや!やろう!ってことで、手術すると決めて2週間後にすることに。

この時2016年4月。

 

腎生検からのスピード感。

あれよあれよと言う間に決まって、手術まで体調崩さないということで、手術の5日前から抗生物質の服用が開始。

 

熊本、大分の方ならまだ1年経ってないので記憶に新しいと思うけど、この頃熊本を中心に大きな地震が立て続けにありました。

私の住む大分も結構大きな震度の地震が来て、その時居た自宅の被害はないものの、実家が古くて不安だったのと、夜中に何度も来る大音量の緊急地震速報と、揺れと、手術の不安でこの時の精神状態は結構ガタガタでした。

 

手術中に大きな地震きたらどうなるんやろ、とか思ってた。

まぁ来なかったんだけど。

 

扁桃腺取ると、しばらく喉が痛いから(そりゃそうだ)、手術前に美味しいもの食べときよーというI先生の勧めにより家族で中華とかも行ったんだけど、それに勝る不安な記憶しかない、笑。

 

そんなこんなでメンタルガタガタのまま入院。

 

手術前日に麻酔担当の先生からとか、いろんな説明や当日の流れを聞いたりして、翌日14:00から手術。

それまでに、なんか栄養価の高そうなジュースを飲んだり(朝の軽食以降絶食だったので食事代わり)、座薬使わなくちゃいけなかったり、手術着に着替えたり(スースーする)。

呼びに来た看護師さんに連れられて、歩いて手術室のある階へ移動。

 

手術室の手前で付き添いきに来てくれてた母と妹と別れ、手術を行う先生やスタッフさん達と意思疎通(?)。

名前だったり、これから自分が何の手術を受けるのかを確認のため患者から言ったり。

 

驚いたのが、

「hiちゃん?」

とスタッフさんの一人から言われて、ん?と思ったらまさかの小中の同級生!

麻酔助手的なポジションみたいだった。

中学卒業以来会ってなかった子と、手術室でまさかの再開(手術する側とされる側という)。

 

そんなことがあったので、緊張しやすい私も一気に緊張が解けて、結構リラックスした状態で手術台に。

(自分で上がるとは思ってなかった)

 

すぐに腕に針が刺されて、

「じゃあ麻酔していきますね。ゆっくり一緒に数数えてください。いち、にぃ、、、」

 

どこまで数えたか覚えてないけど、ハッと目を開けたら、頭上で先生が

「無事終わりましたよ」

と立っていた。

何だか夢を見ていて、その夢の内容が思い出せそうで思い出せなくて、ぼーっとしたまま返事しようと思ったら声が出なかった。あと喉も痛かった。

(手術後、少しの間声が出なくなることは説明されてたし、筆談の用意も言われてた)

「無理に喋らなくていいよ〜」

と言われながら、病室に運ばれた。

麻酔がまだ切れきっていないのか、うつらうつらした状態で、半分寝てるみたいな感覚だった。

ただ、手術終わったら目が覚めるんだ、すごいなぁと思ってた。

 

病室に帰ると、母と妹に加えて、父と祖母が来てた。

でも父と祖母は、あまりに喋れなくて(麻酔で)ぐったりしてた私を見てられなかったのか、数分で帰った、笑。

 

病室で血圧測定器や、エコノミー症候群予防の機器をつけられて、翌朝までは安静になる。

時間は覚えてないけど、夕方から夜にかけ手だったと思う。

麻酔が体に合わなかったのか、急激に気持ち悪くなってリバースもしたけど、何も食べてなかったので胃液ぐらいしか出なかった。

その片付けをしてもらうとき、自分で呼吸が出来たので酸素マスクを外してもらった。

喉は痛かったけど、まだ麻酔が残ってたから、うつらうつらしてたらあっという間に朝が来た。

 

朝早く、F病院の先生が立ち寄ってくれて、摘出した扁桃腺を見せてくれた。

まぁなんとも思わなかったけれど笑。

検査材料にしたいのでこちらで引き取っても良いかと聞かれたので、別に持っていてもしょうがないので頷く。

そのあと管やら血圧測定器やらが外れたので、点滴だけになって随分身軽に。

 

この日からしばらく痛みとの戦い。

翌日から口から摂る食事が出る。

最初は全粥(米粒もないぐらいとろとろの液体)そこに栄養調整のための牛乳やらジュースやらの紙パックの飲み物が2つぐらい。

唾液を飲み込むだけでもめちゃくちゃ痛いけれど、口から食事が取れないと点滴が抜けないので、退院できない。

全粥1杯とジュース2本でも完食に1時間かかった。(まぁ他にすることもないから別にいいんだけど、何度も下げに来てもらうのが申し訳ない)

そこから、少しずつ米粒が残る形状になって、最後はおじやぐらい米粒がしっかりと残る粥も食べれるぐらいにまでなった。

 

その間何回かF病院の先生が診にきてくれるんだけど、

「今は自分のこと恨むぐらい痛いだろうけど、絶対時間が経てば治るから」

と何度も言われ、この先生は過去どんな恨み辛みを言われたんだろう…と逆に心配になった。

むしろ声出ないから言えない。

 

口の中を清潔に保つことだけは言われてたので、朝と夜、あとは毎食後に歯磨きをするぐらい。

あと喉がめちゃくちゃ痛いので、ずっと氷嚢を喉に置いてた。

 

少しずつ声が出るようになってきて、まだ痛みはあるけど食事も十分取れると判断されたので、9日間で退院。

 

その後は自宅療養だったけど、一ヶ月ぐらいで痛みも殆どなくなった。

傷口を縫った糸も、食事をする時に自然と取れて無くなるタイプのものだったので、抜糸もなく扁桃腺にまつわることはこのぐらい。

 

 

どんどん長くなっていってるけど、次でラスト。