ゆるぐた記録日記

読んだ本、思った事、取り留めもなく書き綴るつもり。

年末年始にあったこと。

緩く死にたい日が続いている。

年末年始は実家に帰省しなければいけなかったので、精神的に疲労するとは分かっていたのに、精神を武装しきれなかった。

結果的に思ったより精神的に食らってしまった。

親戚が三、四時間くらい騒いで帰って行ってから、どうしようもなくなって家を飛び出してしまった。

浮き足立った人の多いスーパーで鎮痛剤一箱と水とカッターを買って、川辺の階段に座って一箱飲みきった。

市販の鎮痛剤を安定剤のように飲むのは高校の時の悪習が抜けきれてないからかもしれない。

流石に外では自傷なんて出来ないので、ぼーっと川を見ていた。

浅くて入る気にもならなかったけど、もっと深ければ、もっと橋が高ければ、何かアクションしていたんだろうか、となんとなく疑問に思った。

寒さで体温が下がったせいか一箱薬を飲みきってしまったせいか、一時間後にはフラフラきてたけど帰りたくなくて本屋とかお土産屋とかコンビニをふらふらして、コンビニでとりあえずおにぎりをなんとなく買って食べて、そう言えば周りの空気ばかり伺って殆ど何も食べなかったんだな、と気づいた。

そのあと何事も無かったかのように帰って、少し不安げにこちらを探る父をあしらって、翌日もなんとなく凹みながら親戚と食事をとり三が日が終わった。

帰省が終わった翌日から仕事で、珍しく一日中頭が痛かった。

鎮痛剤を飲むが効かなくて、結局二日間ぐらい痛かった。

インフルエンザだったらどうしようかと思ったけど、熱はなかった。

土曜日に体が痛くなるほど寝た。

ストレスが限界を超えるとたまに熱を出していたけど、今年は仕事を休まないと気が張っていたせいか頭痛だったのか、と確証はないけど思った。

溜まった洗濯物や荷ほどきをしながら、今年はお盆と年末年始に実家に帰りたくないな、と思った。

父と折り合いが悪いのだと、だけれど向こうはきっと折り合いが悪いと思っていないし、私も折り合いが悪いのを隠しているとカウンセリングの先生に話したら、よく分からないという反応を返されたのを日常でたまに思い返す。

父親のことが嫌いなのだとしたら、なぜそんな律儀に実家に帰るのだ?と。

たしかに言う通りなのかもしれない。

ストレスになると分かりきっているなら、極力避ければ良い。

だけどそれが出来ない。

親族の関わる行事に参加せずにその後罪悪感や小言に苛まれるのと、少しの間親族の関わる行事にニコニコしながら参加して帰ってストレスで不調になるのでは、後者の方が楽だと思ってしまうのだ。

切り離すことが出来ない。

こう言うと私も依存しているのかもしれない。

自分を守るより自分を犠牲にする方がはるかに楽で見てくれも良かったりする。

年末年始は実家に帰っていたというと、ゆっくり出来て良かったじゃないかと言われる。

なんとなく微笑んで返す。

ストレスというとまず仕事が辛いのか聞かれる。

どうしても他人の実家には暖かいイメージしか持てないのかもしれない。

捨てたいわけではなくて、捨てれないわけでとなくて、でもこのまま持っているのはどうしようもなくしんどい。

そして捨てるビジョンも持ち続けるビジョンも見えてこない。

三連休で一日寝倒して、一日人と外出して、一日家で掃除などをして、なんとか一週間仕事を頑張ろうという気になった。

でもずっと目の前が灰色で。

思えばまだ今年の抱負も決めていないと思い出す。

頭がうまく回らない。

目の前のことしか出来ず、先のことに手を伸ばすのにとても労力がいる。

楽しいはずなのに、どこか景色が色褪せている。

これじゃダメだと色鮮やかな物に手を伸ばすけど、それすら煩わしく思える。

だけど、色鮮やかだと思えるものを捨ててしまったら自分は本当に死んでしまう気がする。

どんなに無駄そうに思えても、それがないときっと生きていけない。

たまに捨ててしまえば楽になれるのにと思うけど、その楽になれるは、楽に生きれるではなく、繋ぎ止める事がなくなったせいで楽に死を思えるの方の、楽になれるだと思っている。

心が踊らない。

心が踊ることに出会っても、持続させる事が難しい。

生命力が弱い気がする。

別にもうどうだって良いと思う。

積極的に死のうとは思ってない。

そこから生まれるのは、面倒なあれこれとか、元気なふりをしてたツケが周りの人たちに後味が悪い形で回してしまうとか、そんな感じだと分かるから。

だけど別に明日車が突っ込んできて、何かそんな唐突な事故に巻き込まれて、死んでしまっても別に後悔はない。

もう十分だと思う。

きっともう持ちきれない。

物の断捨離が苦手で、思い切って捨てようとならないと捨てれないけれど、きっと過去の断捨離も苦手だ。

記憶が増えれば増えるほど、生きづらくなっていく気がする。

当たり前に描けるような未来が、私には何もない。

緩い灰色の死にたさから目をそらしてくれる色鮮やかな何かに、今年は出会えるだろうか。