ゆるぐた記録日記

読んだ本、思った事、取り留めもなく書き綴るつもり。

苦手を少し克服した小言

 

美術館が、実は前は少し苦手だった。

 

今日、妹の課題の付き添いで近所の小さい美術館に行った。

初めて行く美術館で、こじんまりとしていて、展示スペースもあまり広くない二部屋しかなくて、来館者も少なくて、外観は素敵なのに、ひっそりとゆったりとした美術館だった。

妹の課題と言っても、妹は私よりも随分美術館に縁遠い子だと思う。

楽そうなので取った授業で、美術館についてあれこれ書いて提出しなきゃいけないというから、付き添ってその日やっていた美人画展を見た。

めんどくさいやら、よく分かんないやらいう妹の横で、解説を斜め読みして、さらにそれを噛み砕いてこんなことを表現した絵なのだと説明しながら周った。人がほぼ居なかったから、小声でしゃべっていたけど咎める人は居なかった。

 

私が美術館が苦手な理由が、よく分からないと言えないからだ。

同じ理由で、子供の頃の夏休みの定番、読書感想文も苦手だった。本はその頃からたくさん読んでたのに。

美術館やら、授業としての読書やら、そういう何かを感じとらねばならない、というものに弱い。何かを感じ取って、感想を述べなければならない。そこで、よく分かりませんでしたとは言いづらい。言えない。

 

知らないものを見るのは好き。知らない土地に行くのも、普段知り得ないものが知れるからいろんな土地に行きたい。読んだことないジャンルの本を、図書館でふらっと手に取るのもワクワクする。

だけど、それについての感想を求められた途端、息苦しくなる。

もちろん、何も感じてないわけじゃない。見て思ったこと、読んで感じたこと、聴いて浮かんだこと、いろいろある。あるはずなのに、口が、頭が重くなる。

そういうのも、人の求める応えを探す癖があるからだろう。長女気質なんだろうか、子供の頃から、親が先生が何を考えて何を求めてきているのか、どう答えれば満足されるのか、考えてた気がする。

だから、社会科見学で美術館に行っても、読書感想文で課題図書を読んでも、まずは、これを見て読んでどう感じて欲しいんだろう、となる。私が書いていて、私の感想ではないようなものが出来上がる。そしてそれが合ってるか分からないから、そもそも感想なんて言いたくなくなる。感想に正解なんてないんだけど。

それに、薄っぺらい感想しか出てこないと、まるで自分が薄っぺらい人間な気がしてくる。こんなに素晴らしい(であろう)作品を見てるのに、何も感じないなんて、感性が乏しいじゃない?みたいな。

そんなことはないと冷静には思う。

作品にも作者にも、相性はあるだろうし、誰かにとっての最高傑作が誰かにとっての落書きにしかならないこともある。要は価値観とどれだけ相性が良いかなんじゃないかと思う。

だけど、感想を言わなきゃいけないとなると、価値観が合わなくて、私には良さが分かりませんでした、では丸はもらえない。

でもよく分からないものに対して、言えることなんて薄っぺらい言葉だから、肩身が狭くなる。

 

美術館に対して、その苦手意識が無くなったのは割と最近な気がする。

長々と感想が書けるのが一番良い、わけでは無いと体感して、許せたからじゃないかな。

言葉に出来なくても、感じたものはきっと私の中にあるし、それは日々のいろいろで忘れちゃったりもするかもしれないけど、でも残り続けてどこかで私を形作る感性になると思えたから。

言葉にできるなら、それはそれで記録として残しやすいけれど、だからと言って言葉に出来ないから何も受け取れてない、感じられてないわけではない。

 

11月には友人に誘われて、市立美術館にミュシャ展を見に行った。その時は、一つ一つじっと近くで見て、ほぅっと息をついて、三歩下がって全体を見て、また近づいて、すごく魅せられた。展示数が多くて、最後は受け取りすぎて頭と心が飽和気味だった。

その時は、やっぱり言葉にはうまく出来なかったけど、すごくドキドキした。

そして早く帰って、何か作りたいと思った。

 

その感覚って大事だと思う。

なにも感想なんて、感想文だけじゃない。

受け取ったものを、言葉で綴る人でも、それは感想文だったり日記のようだったり、インスピレーションを受けて散文や詩、短歌なんて書いたりもするだろうし、音楽に長けた人なら音を作るのかもしれないし、私は刺繍をしたり、その為にラフとして絵を描いたりするから、とにかく手を動かしたかった。

 

美人画を見ながら、よく分からんと言いつつ中には「あっ、でもこれかわいい」なんて万能な言葉1つでサラサラと作品を通り過ぎてく妹を見て、別にそれだって良いんだと思った。

好きに楽しめればそれが一番。

 

美術館って結構企画展示の情報が入って来づらかったりするけど、興味をそそられるものは積極的に見に行きたい。

好きなもの作れるように、心を揺するものに触れることはとても大切。

インプットがないとアウトプットの質が下がるだろうし。

いろんなものに触れて、感想があるものはしっかりと感想を残したい。